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薮原宿の
“今まで”と“これから”

木曽路の宿場町として栄えた薮原宿に湯川酒造店はあります。私たちの造るお酒は、宿場で商売をする地域の人に愛されるだけでなく、参勤交代の大名行列や山仕事に就く職人、木曽路を往来する旅人に親しまれ、街道を通じて広く流通していきました。

薮原宿
木曽路の宿場

木曽路の宿場

室町時代に木曽義在(よしあり)が木曽谷の道を整備し、馬籠から贄川までの宿駅を定めて「木曽十一宿」の原形を築きました。

江戸時代に五街道が整備され、このうち中山道は「木曽路」とも呼ばれ、宿駅は中山道六十九次の一部となりました。

湯川酒造店が創業したのは江戸時代の初期にあたる1650(慶安3)年。3代将軍家光から家綱に代わる頃です。

薮原宿は、木曽路の難所である鳥居峠の最寄りの宿場として栄え、皇女和宮も江戸降嫁の際に御本陣に宿を取りました。

野麦峠を越えて飛騨へ通じる飛騨街道との追分にもあたり、飛騨から岡谷・諏訪の製糸場へ向かう工女たちはきっと、薮原宿に今も受け継がれる「お六櫛」を買いに立ち寄ったことでしょう。

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鳥居峠と旅人

鳥居峠と旅人

鳥居峠は、薮原宿と奈良井宿を結ぶ約6キロ、標高1197メートルの山の道です。今では鳥居トンネルであっという間に通り抜けられますが、かつては峠越えの険しい山道を歩くしかなく、木曽路随一の難所とされました。
 
峠の頂からは西に御嶽山がよく見え、東には木曽駒ケ岳を望みます。

今この道は、趣き深いトレッキングコースとして整備され、国内外から多くの旅人がやってきます。峠の入り口には石畳が敷かれ、途中には松尾芭蕉ら俳人・歌人の句碑や石仏が数多く立っています。

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祭りと酒

祭りと酒

薮原神社は680年創始と伝わる古い社です。本殿は江戸時代後期に宮大工・立川流の二代目である和四郎 富昌が手がけたと伝わり、数々の彫刻が圧巻です。
 
毎年7月の第2金・土曜に行われる「やぶはら神社例大祭」では、おみこしとともに、男獅子である上獅子屋台と、女獅子である下獅子屋台が出ます。金曜の宵祭りでは獅子屋台を曳行し、各所で舞い、悪魔退散を願います。土曜の本祭りでは、渡御祭に続き、神輿と獅子屋台が宿場内を巡行します。

みどころは本祭り夜の「寄け合い」。おみこしと屋台がすれちがう際に、お互いの舞を披露し合います。
 
木祖村に住む人は祭り好きの酒好きで、とにかくよく飲む。お祭りに「木曽路」が密接に関わっているのは言うまでもありません。

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薮原宿のこれから

薮原宿のこれから

薮原宿は、鳥居峠をはさんで奈良井宿とともに木曽路の主要な宿場でした。明治時代に国道が開通して宿場を迂回し、宿駅としての役目を終えましたが、鉄道の開通によって商業地として発展しました。

江戸時代から明治時代にかけて6回もの大火に見舞われたため、防火のための高塀や広小路は残されてはいますが、宿場のおもかげを伝えるのはわずかです。とはいえ1884(明治17)年の大火後に建てられた建物で、私たち湯川酒造店のほか、お六櫛の店やそば店が今も商売を続けています。そして、かつての商家が活用のときを待っています。

今、木曽路を、そして鳥居峠を歩く人が世界中から訪れています。私たちが醸す「十六代九郎右衛門」も世界の舞台で認められる酒となりました。地域に根差す企業が活力をもって発展し続けることが地域の活力につながり、そして地域の歴史とともに魅力を掘り起こすことで、多くの人に地域を知らしめていくのです。

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